「それは突然訪れた…」
師走を目前に、とある月曜の夕刻、その出来事は起きた… 一瞬だけ時間(とき)が止まった後、時間だけがゆっくりと過ぎ去ってゆく… その時、僕は初めて聞いた、時間(とき)が流れてゆく音を… 僕はそこに取り残されたようで、ただそこに佇んでいた… それは、涙が溢れる感情をも奪う程突然の出来事だった… しばらくの間、眠れない日々が続いた…
新曲「OUT OF THE BLUE -Monday's Scars-」は、昨年、12月29日に書き上げた。「あの日の出来事」を自分の中で受け止める事が出来ない中で、よく歌に出来たと自分でも思うが、詩(詞)を書いて、ギターを手に曲を書き上げたのは2日間で、時間にするとおおよそ12時間くらいだったと思う。
実は、丁度その頃、僕は新しいアルバムの為の曲作りを始めたばかりで、時間を見つけてはギターを手にしては、詞を書いたりメロディーのアイデアなどをiPhoneに録音していた。
ある夜、僕はギターを置き、新しいアルバムのアイデアから離れ、「あの日の出来事」と向き合った。僕は、何故かそうする必要があると感じた。僕は自分の胸の内をノートに書き綴った。それは、「作詞」ではなく、「詩」そのもので、メロディーを乗せるためのものではなかった。僕はひとしきり胸の内を言葉にし、綴った後、その詩を読み返していた。ふと、僕はギターを持ち出し、その詩にメロディーを乗せてみた… 「君を失って ひとつ言葉も失った…」、次の瞬間、詩は詞へと変わった。その後(あと)は前述の通り、僕は「あの日の出来事」と向き合う事で「OUT OF THE BLUE -Monday's Scars-」という楽曲を書く事が出来た。
僕は、楽曲を書き上げた時に、この曲に対して「完結」させていた。僕は「あの日の出来事」を歌にすることで、自分の気持ちに折り合いをつける事が少しは出来たと感じていたからだ。それに、元々「あの日の出来事」を、歌にする気など全く無かったのだから。だから、新曲については録音もしなければ、一般公開もしないというスタンスでいた。しかし、アーティストとしての性だろうか、僕はアコースティック版の簡単な音源だけでも作ろうかと、そんな気を起こしていた。結局、今年に入り僕は新曲のレコーディングをする事となったが、仕上がった音源は、アコースティック版ではなく、バンド版の、いわゆる「フルバージョン」の音源となってしまった。それは敢えてそうした訳ではなく、録音を進める中で、僕の頭の中で聴こえていたサウンドやアレンジを楽曲の中で表現していった結果がそうさせたのである。勿論、アコースティック版も「アリ」だったと思う。だが僕は、今回のこのバンド版を気に入っている。僕のこの歌に対する感情が、バンドのサウンドによってより表現出来たと持っている。僕の歌もまた然り。
さて、気が付けば4月、「あの日の出来事」から4カ月以上が過ぎ去ったが、僕はこの楽曲と係る中で、度々、色々と考えさせられた。時間(とき)の流れやこの歌が、僕の心を癒してくれたところはあると思う。しかし、起きた事実や心の傷跡は消える事はない。そして僕も誰かの心を大きく深く傷つけてしまった… その事実から僕は目を背けてはいけないと思っている。何故に、そんな個人的なディープな話をわざわざここでしなければいけないのかと、思うかもしれない。だがそれは逆で、僕自身のウェブサイトだからこそ、ここだけ(ウェブサイト)に限り、「ABOUT "OUT OF THE BLUE"」と題し、楽曲の見えない音符や休符を、楽曲の裏側にある僕の想いや経緯として語らせて頂いた。
僕にとって「OUT OF THE BLUE -Monday's Scars-」は、とても大きな意味を持つ楽曲となった。人として、ミュージシャンとして…
最後に。この楽曲を、Toshikazu Marunoの「新曲」として、また「音楽」として、楽しんでくれることを願っています。そして最後までこの拙い文章にお付き合い下さり心から感謝します。
君を失って ひとつ言葉も失った… ”愛している”
今、その言葉を強く抱きしめる…
「OUT OF THE BLUE -Monday's Scars-」コーラス・パートより