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  • 執筆者の写真Toshikazu Maruno

下口 栄市マスター【Bogie】を偲んで 🙏


5月6日、土曜日の昼下がり。

外は静かに雨がメロディーを奏で、ゆったりとした時間が過ぎてゆく…

ゴールデンウィークも終盤に差し掛かった鹿児島の空である。


あの訃報から一週間が過ぎた…

世間はゴールデンウィークとは言え、僕には関係なく多忙の時を極めていた。

先週末、日曜の栄市マスターのご葬儀の後に、ブログにて栄市マスターを偲ばなければと思うも、時間だけが過ぎてしまっていた。

だが、僕の中では栄市マスターがお亡くなりになった『4月28日』からある意味『時』は止まっていた…


栄市マスターと時間を共にした想い出が次々と溢れ、『またすぐに会える』そんな感覚が僕の肌には残っていた。

でも現実は違う。もうそこには栄市マスターの姿はなく、あの弾んだ声も聞くことはできない…

その事実をまだ受け止める事ができない自分がここにいる。


そんな事で、『栄市マスターを偲んで』と、ブログを綴る事が出来るのか分からないが、栄市マスターのあの笑顔を思い浮かべながら言葉を綴っていきたいと思う。



2015年秋のとあるイベントの打ち上げの2次会の席で、僕は下口 和郎さんと初めて出会った。

僕の音楽について興味を示して下さり、話は盛り上がり、その際に和郎さんから『兄のやっている'Bogie'というお店でライブをやる予定でいるのですが、是非、演奏してください、伊佐の大口なんですけれど…』と。

『私でよければ』と、その時はざっくばらんな話で終始した夜だった。


土曜の昼下がり、空は青空が広がるも凍てつく寒さだった。

和郎さんの車を降り、楽器や荷物を手に僕はその店の扉を開けた…

『ようこそいらっしゃいました!寒かったでしょう。』

そんな優しい言葉と温かい笑顔で僕を向かい入れてくださった方こそが、'Bogie'の店主である下口 栄市マスターその人であった。

僕は、今までも沢山のライブハウスやイベント会場でオーナーの方々と挨拶を交わしてきた。

そうした中での栄市マスターとの最初のご挨拶の瞬間は今もって忘れられない、『心温まる瞬間』だった。

凍てつく寒さなど忘れるほど、栄市マスターの歓迎に心打たれていた…

僕にとって2016年1月31日、土曜日の『第1回 Bogie Live』は、忘れる事のない記念すべきライブと一日となった。

そして、その日を境に、僕は栄市マスターがお亡くなりになるまでの約8年間、公私共に大変お世話になった。


この栄市マスターとの出会いの場面がなければ、恐らく僕と栄市マスターとの関係や想い出はなかっただろう…

それ程までに栄市マスターとの出会いは僕にとって忘れ難く、それは今思えば『運命(さだめ)』だったのだと思う。


約8年間にわたる栄市マスターとの想い出の最後は、昨年クリスマスに行った『Bogieライブ』となった…

その時、鹿児島も寒波襲来の影響を受け、本来なら1泊2日で栄市マスターにはお世話になることになっていたが、大雪の予報に伴い、前倒しの伊佐大口入りとなり、3泊4日と言うスケジュールとなってしまった。

こうして今、栄市マスターがお亡くなりになったことを考えると、あの『3泊4日』という滞在は、僕にとって最高であり最後の『贈り物』だったのかもしれない…

印象的だったのは、栄市マスターと裸のお付き合いができた事だった。

伊佐の2ヶ所の温泉施設を訪れ、まさに心も裸になってお互い語り合った事は、僕にとって心まで温まる想い出となった…


そして滞在最終日の12月25日のクリスマスの日曜日、いつもと変わらず栄市マスターに、車で自宅まで送ってもらうことになったのだが、この日は一日を通し、終始、自分の人生を振り返るような話題の話となっていたが、その時は気にも留めるほどではなく、いつもの『談笑』といった和やかな感じだった。

だが、僕の中では、この3泊4日の旅を通して『こんなに幸せでいいのか』と思えるくらい、栄市マスターと過ごした時間に感謝以上の特別な気持ちを抱いていたのも事実だった…

そして、僕を車で送って下さる最後には、途中、栄市マスターの三男である雄大くんの所に寄って、3人で『はま寿司』でお寿司を食べた、あの時の記憶も温かく僕の心の中に残っていて、ご葬儀の時には雄大くんとあの時の思い出に触れ語り合う事だった…

栄市マスターに自宅まで送り届けて頂いた後、別れ際にマスターから『今度は暖かくなった時に来ればヨカが。また突然電話をするかもしれないけれど、その時はお願いね』と、いつもの調子でお声をかけて下さったのが最後だった…

僕はその『マスターからの突然の電話』を、『暖かくなったこの時期』に、実は待っていた…

それは僕にとって叶わぬ夢となった…


しかし、葬儀を終えて旅立たれた栄市マスターを、今はより身近に肌に感じるようになった。

享年65歳で生涯をとじた栄市マスター、あまりにも若過ぎて、早過ぎる旅立ちだった…


生前のマスターにこれといったものも変えせずじまいだった事が悔やまれるが、今生かされている僕は、音楽を通し少しでも栄市マスターに胸を張れる日々を送りたいと考えている。

栄市マスターが旅立たれたことで、色々なことを考えさせられたが、それを自らの人生に反映させたいと思う。


『栄市マスター、あなたとの出会いが、私に多くの経験、想い出を与えて下さいました。マスターに対し、今なお感謝の気持ちは絶えません。マスターが私に下さった真心は決して忘れません。もっと、もっと、栄市マスターと語り合いたかったですし、私の音楽をマスターにも聴いて欲しかったです。マスターが多忙を極める中、いつもマスターのお身体については案じておりました。でもこれからは気にせずにゆっくり休んでくださいね。天国にいる両親も栄市マスターにご挨拶したいはずですし、良ければ、焼酎をこよなく愛した亡き父とお酒を酌み交わして頂けると私も嬉しいです。栄市マスター、この8年余り本当にありがとうございました。栄市マスターとの想い出を胸に、これからも人として、そしてミュージシャンとして精進に努めたいと思います。』


Toshikazu Maruno


● Photography by 末原 俊幸様

● @ The 6th Bogie Live

● June 25th, 2016 (Sat)

















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