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執筆者の写真Toshikazu Maruno

遺音




月曜の朝

外は昨日と全く同じ

雨音が優しくバルコニーの手すりを叩く

父の日から一夜明け

新たな週が始まりを告げる


おはようございます。


昨日の「父の日」は、亡き父を偲びましたが、併せて2人の子を持つ父でもある弟と、僕が彼に送った贈り物について彼とメールのやり取りをする一日でした。


今日のブログのタイトルでもある「遺音」、そう、お気づきのように「遺言」を掛けて名付けたタイトルです。

そしてこのアルバムは、家族の為に書かれた楽曲を集め、家族の為に作られた、非公式のアルバムです。

僕が「その時」を迎えた時に、弟へ音楽を通し想いを伝える為にと、考え制作されました。


コロナ禍の中で、旧曲を再録するプロジェクトを進める中で、思いついたアイデアですが、正に「コロナ禍」がこのアルバムを作る引き金と言っても過言ではありません。

どうでしょう。世界を見てください。日本を見てください。

2020年から始まったコロナのパンデミック、「コロナ禍」から「ワクチン禍」へと、世の中が混沌、困難を極める中、どれだけの人々が、人生を全うする事無く亡くなった事でしょう… それは、名を変え、手段を変えて、今後も人々を襲おうとしているように思えます。


いつ「死」が訪れるか分からないこの世の中で、僕がいつでもその時を迎えた時に、弟へ手渡せるようにと、このアルバムは作られました。

もう一つ、それはタイミングもありました。

この春、亡き母の13回忌でしたが、この母の13回忌は僕の中での一区切りでありました。亡き父、亡き母の13回忌の区切りとして一年前に、両親の為に書いた楽曲を録音し始めていました。

そうした中でのアルバム「遺音」のアイデア。

しかし、このアルバムには両親を想い書いた楽曲はあっても、弟の為に書かれた楽曲はありませんでした。弟への想いを綴った楽曲無くしてこのアルバムは成立しないと考えた僕は、弟の為に早々に楽曲を書き上げ作品として仕上げました。

結果的に、この春の母の13回忌を終える頃には、アルバム「遺音」は仕上がっていました。

前述の通り、僕がその時を迎える時のために作られたアルバム、僕は今の所無事に日々を過ごせています。

このアルバムについてブログで詳細を書くことは出来ませんでした。


結局、「その時」ではなく「タイミング」によって、昨日の父の日に合わせる形で、弟へこの「遺音」のCDを渡すこととなりました。

弟は、このアルバムを真摯に受け止め、また、彼のために書いた「My Dear Brother」も気に入ってくれたようでした。

このブログをお読みの方で、「遺音」の内容が気になる方もいらしゃるかもしれません。

大丈夫です、現在製作中のアルバムにこの「遺音」の楽曲は全て収録される予定です。


その製作中のアルバムや、新曲「I’m Not Going Anywhere 」についても今後その詳細をお伝えする予定でいます。

僕は今日も「生かされて」います。

そして新たな週に僕は一歩を踏み出しました。


雨足の強くなってきた鹿児島ですが、皆さんもどうぞそれぞれの日々を楽しみお過ごしください。

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